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東京地方裁判所 平成3年(ワ)4028号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

一  請求原因1(当事者)については、当事者間に争いがない。

二  請求原因2(事故の発生)について判断する。

春子は済生会病院の紹介により昭和六三年四月二日午後一二時三〇分ころ本件病院に入院したこと、同月四日早朝病状が急変悪化し、同日午後六時二一分死亡したことは、当事者間に争いがない。そして、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

1  本件病院に入院するまでの経緯

(一)  昭和六三年三月二五日、春子は朝から三八度程度の熱があり、咳、鼻水が出ていたので、宇都宮市の吉沢医院小児科で診察を受けさせたところ、「風邪又は麻疹」との診断を受け、三日分の薬をもらつた。

(二)  同月二六日は、吉沢医院からもらつた薬を飲ませたが春子の熱は下がらず、咳も止まらなかつた。

(三)  同月二七日は、薬を飲ませていたにもかかわらず、右症状が続くので、同日午後三時半ころ、日曜日でも休日診療している済生会病院で診察を受け、薬をもらつた。同日夜には春子の耳の後ろに発疹が出てきた。

(四)  同月二八日午前にも同病院で診察を受けたが、コプリック斑が出ているので、麻疹であるとの診断を受け、薬をもらつた。

(五)  同月二九日、三〇日、三一日には、薬を飲ませていたところ、熱は三八度台から三七度台に一旦下がつた。他方、発疹は増加した。

(六)  四月一日になつて、再び熱が三八度程度に上がり、声がかすれ、咳もひどくなつたので、同夜済生会病院に電話した後、翌二日午前三時三〇分ころ、同病院の診察を受け、麻疹と喉頭炎との診断を受けた。

(七)  二日朝になつて、再度済生会病院の加藤医師の診察を受け、レントゲン検査も受けたところ、同医師は麻疹から軽い喉頭炎及び軽い気管支炎を起こしているが、肺炎にはなつていないと診断し、入院することを勧めた。

もつとも、麻疹なので小児病棟には入院できず、同病院は空いているベッドがなかつたので、加藤医師は本件病院の被告石井に連絡し、入院先として本件病院が紹介された。

2  本件病院の治療体制

(一)  当時本件病院の小児科には医師が六名おり、毎週月曜日と木曜日、三週に一度の日曜日、月に一度の土曜日には小児科医の当直があつた。

当時は、時間外に当直医がいない場合には、ポケットベルを持つた医師が、必要があれば、ポケットベルによる呼出により、患者の治療にあたるようにするという「オンコール医」制度がとられていた。

オンコール医は、病院の敷地内にある住宅又は病院に比較的近い範囲に居住する医師が指定されたが、院内院外を問わず、その所在は自由であるとされ、事実上宇都宮市内程度であればオンコール医の移動は可能であつた。

(二)  また、本件病院では、どの医師が主治医になるかは、医師に順番で患者を割り当てて決定されていた。そのため、患者が入院した時点で不在の医師が主治医となる場合もあつた。

(三)  昭和六三年四月二日は土曜日であつたため、午後一二時三〇分で通常の勤務時間は終了し、その日は小児科には当直医はいなかつたため、日曜日を挟んで、四月四日月曜日の午前八時三〇分の通常の勤務時間開始まで、本件病院の近くに住む被告石井がオンコール医であつた。

また、春子の主治医は、順番により、伊藤光恵医師に決まつたが、伊藤医師は、休暇により、四月二日、三日は不在であつた。

(四)  本件病院の小児科所属の看護婦は約二〇名であり、そのうち未熟児室担当以外の看護婦は約一二名であり、日勤(午前八時三〇分から午後五時まで)、準夜勤(午後四時三〇分から午前一時まで)、夜勤(午前零時三〇分から午前九時まで)の三交代勤務であつた。

準夜勤と、夜勤の看護婦は三名ずつであり、そのうち一人が小児科担当のリーダーとして医師の指示を受けたり、検温の記録をする係となり、一人が未熟児室担当であり未熟児室のリーダーでもあり、もう一人が未熟児室と小児科の兼任のフリーとなつていた。

リーダーは勤務表により看護婦が順番に担当することになつていた。

(五)  看護婦は、日勤の時間帯は検温の他に二時間おきに病室を巡回し、午後八時以降午前六時までは一時間おきに巡回し、二時間おきに記録に残していた。

(六)  四月二日午後は小児科の看護婦は三名、翌三日の日勤も三名だが、うち一人は未熟児室と兼任であつた。

当時、未熟児を除く小児科の入院患者は約三〇名であつた。

(七)  なお、その後、春子の死亡事故をきつかけにして主治医の決定方法が変更され、入院時に病院にいる医師をその患者の主治医とするようにし、オンコール医制度についても変更された。

3  入院後の治療経過

(一)  春子は四月二日午後一二時三〇分ころ、本件病院に入院し、入院時の診察、処置及び治療内容の指示は、当日午前の通常勤務にあたつていた森田都医師と影山さち子医師が行つた。

入院時には、春子は麻疹様発疹が全身にあり、咽頭が発赤、胸部ラ音あり、陥没呼吸あり、軽度の脱水ありという症状が出ていたものの、肺炎には至つていなかつた。

治療内容は輸液、抗生剤静脈注射、〈漢字略〉痰剤投与、ネブライザーによる加湿等であつた。

医師指示表により、看護婦に対して、食事はパウダーミルク二〇〇シーシー五本、安静度は中程度、ソリタT3五〇〇シーシーにビタミン一式が入つた点滴が一時間に四〇ミリリットル、抗生剤のビクシリン四〇〇ミリグラムを一日三回午前六時、午後二時、午後一〇時に投与、ネブライザーによる加湿、呼吸数チェックという指示が出された。

(二)  二日午後一時ころ、オンコール医であつた被告石井は、済生会病院から紹介を受けた春子の入院の確認及び他の入院患者の状況を一応確認するために本件病院に来て、森田医師と影山医師が記載した春子のカルテと医師指示表の内容を確認して帰宅した。この際、被告石井は春子の診察は行わず、看護婦に対して特段新たな指示も出さなかつた。

同日の春子の状態は、咳嗽、喘鳴、陥没呼吸、発疹等の症状が続いたものの大きな容態の変化はなかつた。

(三)  翌三日午前一時五〇分ころ、ナースコールにて高橋篤子看護婦が訪室したところ、咳嗽多発、喘鳴あり、陥没呼吸あり、呼吸数一分間に四四、顔及び全身の色やや不良ぎみであつたため、同看護婦は酸素マスクにより酸素投与を開始した。その上で自宅にいた被告石井に同処置を電話で連絡し、同被告から、右処置を了解した上、点滴中に気管支拡張剤であるネオフィリンの添加を指示され、同看護婦はこれを実行した。

同日午前四時ころ、呼吸数が一分間に三二に減少し、全身色変わらず、唇爪床色良好であつたため、同看護婦は酸素投与を中止した。その後、朝までの巡回でも大きな容態の変化はなかつた。

(四)  三日午前一〇時ころ、被告石井が春子を診察した。

症状として、喘鳴、胸部ラ音、咳嗽等が認められ、レントゲン撮影をしたところ前日済生会病院で撮影したレントゲン所見に比べて、浸潤影が増強していたため、被告石井は軽度から中等度の肺炎になつていると診断した。しかし、春子の容態には大きな変化が認められなかつたので、入院以降の治療を継続することにした。

被告石井は、原告花子に対し、春子が肺炎を起こしていること等の症状と治療について説明し、原告太郎に対してはメモに書きながら同様の説明をした。

(五)  三日午後六時三〇分ころ、ナースコールにて国安真理子看護婦が訪室すると、原告花子が春子の顔色が悪い旨述べたため、顔色、唇の色は普通であつたが、原告花子の不安が強いため、同看護婦の判断で酸素マスクで酸素投与を行つた。

同日午後八時、チアノーゼはなく、顔色、唇色とも良好であつたため、同看護婦の判断で酸素投与を中止した。

同看護婦が巡回した同日午後一〇時、四日午前零時及び夜勤の看護婦早田美由樹が巡回した同日午前二時ころには、春子は睡眠中であり、喘鳴、咳嗽はあつたものの大きな変化はなかつた。

同日午前四時の巡回の際、訪室にて春子は覚醒し、陥没呼吸、喘鳴はあるが顔色は普通であつた。

(六)  四日午前四時三〇分ナースコールにて早田看護婦が訪室すると、原告花子が「元気がでてきたのでミルクを温めてもらえますか。」と要望したので、同看護婦はミルクを温めて、再度訪室し、病院で使用している哺乳ビンごと原告花子に渡した。

原告花子はそれを自宅から持つてきた哺乳ビンに移し替えて、春子に飲ませようとしたが、春子は哺乳ビンを口にくわえたものの手で払い除けて、ミルクを飲まなかつた。

この前後に、春子は、原告花子と二、三言会話し、ベッドの上で起き上がり、動いたりした。

(七)  午前五時ころ、同看護婦が巡回したところ、春子も原告花子も睡眠中であり、喘鳴、陥没呼吸あり、チアノーゼはなかつた。

(八)  午前六時一〇分ころ、早田看護婦が巡回すると、春子は、喘鳴はなく、全身色不良、口唇チアノーゼ強度、眼球上方固定、自発呼吸停止、呼名反応なしという状態であり、容態が従前と大きく変化していた。

同看護婦は、直ちに春子を処置室へ運び、増山看護婦がこの旨を自宅にいた被告石井に電話で連絡した上、増山、早田両看護婦は、酸素投与、口腔内鼻腔内吸引、心臓マッサージを開始した。

ハートモニターを装着したところ心拍数四〇台であつたが、まもなく零になり、ため息様に一、二回呼吸したが、自発呼吸もすぐにみられなくなり、瞳孔が散大した。

(九)  被告石井は、増山看護婦からの連絡により、本件病院に自転車で向かい、電話を受けてから五分程度で到着し、午前六時二〇分ころ、春子に対し、肺に空気を送るため気管内挿管を行い、気管内から約〇・一ミリリットルの粘性の痰を吸引し、心臓の拍動を再開させるため、心臓マッサージを継続しながら、エピネフリン心臓注射、ソルコーテフ(ハイドロコーチゾン)、メイロン(炭酸水素ナトリウム)の静脈注射を行つた。

(一〇)  午前六時四〇分ころ、心臓の拍動が復活し、午前七時過ぎには一時的には体動が出たり、自発呼吸が出てきたりしたものの、その後は、徐脈や、血圧低下を繰り返した。

午前七時一〇分には胃内から吐血様のものが大量吸引されたが、ミルクは吸引されなかつた。

心臓呼吸停止のためと思われる著名な代謝性アシドーシスと多臓器障害が認められたため、脳浮腫に対して、グリセオール、デキサメサゾン投与、過換気、水分制限を行い、腎臓障害に対し、カリウム制限、アシドーシスの補正、心臓血管系に対し、ジゴシン、ドパミン、イソプロテレノール投与を行い、呼吸管理を行つた。

(一一)  午前一〇時ころ、被告石井は、原告花子及び春子の祖父母に、春子の心呼吸が停止したこと、心呼吸の活動が再開し始めているが、生体がかなりダメージを受けているので回復の見込みは厳しいこと及び治療内容を説明し、その後、被告石井は被告田中とともに原告太郎に対して同様の説明をした。

午前一一時ころ、被告石井、被告田中、伊藤医師の相談により、伊藤医師から被告石井に春子の主治医が交代した。

以降、春子の状態が安定したので被告石井は現場を離れることもあり、春子の周りに医師及び看護婦が付いていない状態もあつた。

(一二)  午後三時ころから被告石井、被告田中、その他の医師及び看護婦が春子に付いたが、午後五時一八分心室細動を来し、カウンターショックをはじめ各種薬剤にも反応せず、午後六時二一分死亡が確認された。

春子の直接の死因は心不全であり、その原因、すなわち四日午前五時から六時一〇分の間に容態が急変した原因は不明である。

三  以上認定した事実をもとに請求原因3(被告らの過失)について順次判断する。

1  (本件病院の治療体制)について

(一)  主治医の決定方法について

本件病院においては当時主治医は医師に順番に患者を割り当てて決定する方式がとられていたので、患者の入院時に不在の医師が主治医となることがあつたものであるが、入院時の治療方針をたてるときに、主治医が関与せず、その後に主治医が当初の担当医から引継ぎを受けるという方式は、患者の容態を正確に把握し、患者の状況に対応しつつ、一貫した方針で治療を行うという見地からは、治療上のミスの発生の一因となるおそれもあり、好ましいとはいえない。

しかし、一定規模以上の病院において、患者が入院中常に同じ医師が治療に当たることは事実上不可能であり、入院中に担当医師が交代することも通常ありうることであつてみれば、主治医の不在及び医師の交代により、治療について具体的に何らかの問題が生じたというのであれば格別、患者の入院時に不在の医師が主治医となり、後に当初の担当医から引継ぎを受けたというそのことから直ちに患者に対する治療について過失があるとはいえない。

本件では、入院時に主治医の伊藤医師が不在であつたため、入院時の診察は、森田医師と影山医師が行い、それを被告石井が、カルテと医師指示表の記載により引継いで春子の治療を担当し、四月四日には伊藤医師が出勤してきたが、引き続き被告石井が春子の治療を担当すべく、伊藤医師から被告石井への主治医の交代が行われている。

したがつて、主治医は不在であつたものの、入院時の治療を除けば被告石井が春子の治療を一貫して担当しており、実質的な担当医は存在していたのであるから、主治医が不在だつたことによつて、春子に対する治療がおろそかになつたという事情は認められない。

また、森田医師及び影山医師から被告石井への引継ぎについても、被告石井は、直接春子の診察を行つていないものの、約三〇分前に森田医師と影山医師が診察していることに加えて、その時点で被告石井が改めて診察し、新たな治療の指示をする必要性は、森田医師及び影山医師が記載したカルテ及び医師指示表に照らして特別には認められないことから、医師の交代による不都合があつたという事情は窺えない。

(二)  オンコール医制度について

オンコール医制度は、短時間のうちに医師が病院に到着可能であるといつても、患者の急な容態への対応は、当直医制度に比して劣ることは明らかであり、また、医師の到着が遅れる可能性も否定できないので、医療事故発生の原因となる可能性のある制度であり、夜間休日の病院の医療体制としては必ずしも好ましいとはいえない。しかし、オンコール医制度が、直ちに患者への治療行為についての過失となるわけではなく、オンコール医制度をとつていることによつて、特に治療が遅れたり、なされるべき治療がなされなかつたという事情が認められて初めて過失があると解すべきである。

本件では、オンコール医であつた被告石井は、四月二日午後一時ころ、カルテと医師指示表により春子について引継ぎをして帰宅し、三日午前一時五〇分ころ、高橋篤子看護婦から電話で連絡を受けて、電話により酸素投与の処置を了解した上、点滴中に気管支拡張剤であるネオフィリンの添加を指示し、同日午前一〇時ころに春子を診察し、原告らに症状、治療内容の説明をした後帰宅し、四日午前六時一〇分ころ、増山看護婦からの電話連絡により、春子の容態の急変を知り、約五分程度で病院に到着して治療にあたり、以後通常の勤務時間帯となる四日午前八時三〇分以降まで引続き治療にあたつていたものである。

これによれば、春子の入院後容態が急変するまでの間にオンコール医であつた被告石井が病院にいなかつたために、春子に対して適切な治療がなされなかつたと認められる事情はないし、春子の容態の急変の電話連絡を受けた時にも、被告石井は五分程度で本件病院に到着して治療にあたつていることに徴すれば、その際の春子に対する治療が、被告石井が本件病院に不在であつたために遅れたとは認められない。

2  (看護婦の独断による治療)について

酸素の投与及びその中止を看護婦が行つたことは、当事者間に争いがない。しかし、酸素マスクによる酸素の投与及びその中止は、看護婦の自己の判断で行いうる程度の処置であり、本件でもこれにより春子の容態を悪化させたと認められる事情はない。

点滴及び注射を看護婦が自分の判断で行つたと認めうる証拠はなく、《証拠略》によれば、看護婦は医師指示表に基づいて春子に点滴を行い、注射をしたことが認められ、これら医師指示表に基づいて看護婦がなした処置には不適切な点は認められない。

3  (肺炎合併の予防)について

麻疹は、合併症として、中耳炎、肺炎、脳炎、心筋炎、脳脊髄炎への進行が見られること、春子が肺炎を合併したことは、当事者間に争いがない。

前記認定のとおり、春子は四月二日の入院時には麻疹から喉頭炎、軽い気管支炎及び脱水を起こしていたが、翌三日には軽度から中等度の肺炎に進行している。その間の治療としては、二日から三日にかけては森田医師と影山医師が記載し、被告石井が引継いだ医師指示表により、輸液、抗生剤静脈注射、〈漢字略〉痰剤投与、ネブライザーによる加湿が行われていた。

これによれば、森田、影山及び被告石井は肺炎への進行を抑えるための抗生剤の投与等の治療を指示していたのであり、それにもかかわらず、肺炎を合併してしまつたのは、春子が入院時より既に肺炎への進行の可能性のある喉頭炎及び軽度の気管支炎を合併していたためであるといえる。

したがつて、本件病院に入院時の春子の症状に応じて、肺炎の合併を抑えるための治療は尽くされていたと認められ、この間被告らに過失を認めうる事情はない。

4  (肺炎合併後の放置)について

前記認定事実によれば、被告石井は三日午前一〇時ころの診察で、春子が軽度から中等度の肺炎を合併していると診断し、従前の治療を継続することを指示した。そして、春子の容態は四日午前五時の巡回までは更に悪化することはなく、小康状態を保つていたといえる。

そうすると、春子の容態が急変するまでの間は、右の指示に基づいて従前の治療が継続されていたものであり、肺炎合併後も、適切な治療を行わないで春子を放置状態にしておいたとは認められず、肺炎合併後の治療にも特段不適切な点は認められない。

また、春子の容態の急変後の治療にも特段不適切な点は認められない。もつとも、四日午前一一時ころから午後三時ころまでの間は、春子の状態が安定したため、被告石井は現場を離れることもあり、春子の周りに医師及び看護婦が付いていない状態もあつたというのであるが、多数の患者を同時に担当する医師及び看護婦であつてみれば、患者の状態に応じて現場を離れることをあながち非難することはできず、そのために適時に適切な処置がなされなかつたというような具体的な不都合が生じた場合でない限り、これをもつて過失があると断ずることはできない。

5  (窒息の予防)について

被告石井らが春子について痰をとる吸引、気管内挿管、気管切開を行わなかつたことは、当事者間に争いがない。

《証拠略》によれば、春子の窒息の予防措置としては、痰の水分を多くして粘性を下げるための輸液の投与、気道の湿度を高くして排痰を促すためのネブライザーによる加湿及び〈漢字略〉痰剤、気管支拡張剤の投与を行つていたこと、また、吸引は喉頭炎を悪化させる可能性が高いこと、気管内挿管は自発呼吸が保たれている状態ではむしろ換気を低下させ、逆効果となりやすいこと及び気管切開は、喉頭炎が重症で気管内挿管が不能な場合に適応となることが認められる。

そうすると、春子について痰をとる吸引、気管内挿管、気管切開の適応があつたとは認められず、被告石井らが行つた窒息予防の処置に不十分な点があつたとは認められない。

6  (白血球数の増加への対処)について

春子の白血球数は四月二日に二万一五〇〇で、同月四日に四万八三〇〇であつたことは、当事者間に争いがない。

《証拠略》によれば、春子の入院時の四月二日に白血球数が二万一五〇〇で正常の値の倍くらいに増えていたのは、麻疹に細菌感染を伴つていたからであること及び四月四日の急変以後に白血球数が四万八三〇〇に増加していたのは、蘇生のためのエピネフリンの投与と心呼吸停止によるストレスによるものであることが推認され、原告主張のように春子が疑似白血病であり、それに対処する処置が必要であつたという事実は認められず、白血球増加に対する処置としては、前記認定のとおり、抗生剤の投与が行われていたのであり、その対処が不十分であつたとは認められない。

7  (LDH値の高位への対処)について

《証拠略》によれば、春子の入院時の四月二日にはLDH値(臓器に存在する酸素で、臓器がダメージを受けると値が上昇する。)は一一二九であつたこと及び容態の急変後の四月四日には二〇五三になつたこと、同日午後には八二五二まで上昇していることが認められるが、春子が麻疹であつたことを考慮すれば、入院時にLDH値が異常に高かつたとは認められない。また、春子が、REYE症候群(非特異的に急性に脳症を起こす病気)になつたと認める徴候は見当たらない。

8  (暖房の停止)について

《証拠略》によれば、宇都宮地方の最低気温は、昭和六三年四月二日が三・四度、三日が三・一度、四日が五・八度であつたこと、本件病院の暖房は四月二日は午後八時に停止し、三日は午後九時に停止したこと、暖房を切ることについては明確な基準はなく、そのときの気温によつて医師以外の病院の施設の管理者が判断して切つていたことが認められる。

しかし、右暖房の停止については特段に不適切な点は認められず、暖房を停止したために、春子が病状を悪化させ、その後容態が急変するに至つたことの原因になつたとは認められない。

四  以上要するに、春子は四月二日に本件病院に入院した時点では、麻疹から咽喉炎及び軽い気管支炎を起こしており、三日の朝の時点では、軽度から中等度の肺炎に進行したものの、その後は、特段の症状の進行はなく、同様の症状が継続していたところ、四日午前五時から六時一〇分の間に、原因不明の容態の急変により、心呼吸が一時停止し、容態が上向かないまま、同日午後六時二一分、遂に心不全により死亡したものであるが、本件病院の当時の治療体制及びこの間に行つた治療行為について春子の死亡の原因となるような不適切な点があつたとは認められないところである。

そうすると、結局、春子の死亡について被告らに過失があつたと評することはできず、また、被告国について、本件医療契約の本旨に従つた適切な治療を行わなかつたという債務不履行があるということはできない。

よつて、その余の主張について判断するまでもなく、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 萩尾保繁 裁判官 小川 浩 裁判官 楡井英夫)

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